20代の頃の自分は放送通訳者になりたくて猛勉強していました。努力の甲斐あって、放送局の試験に受かり週に3回レギュラーで報道番組に通訳として入りました。が、何を隠そう病的に上がり症だったのです。ニュース番組の通訳なら人前に出なくてもいいから恥ずかしくない!と思っていたら大間違い。なんと放送局には大人数のスタッフがいて、たくさんのカメラマンやディレクターやアシスタントに囲まれての仕事でした。恥ずかしくて緊張して毎日心臓が止まりそうな日々でした。それが辛くて自主的に退職。別に辞めなくたってよかったのに、逃げるように辞めました。それからずっと後悔の日々を過ごしました。
結婚して稼業の会社経営に携わるようになり、小さい会社なりにも従業員を抱えて営業と顧客管理の指揮を執ること10年。充実感はあるけれど、若い頃に目指していた仕事を最後までやり抜けなかった後悔は忘れることはありませんでした。
そんなあるとき。病気を患い人生は有限だと実感しました。毎日手帳に人生でやり遂げたいことを書き出しました。まもなく、やり残したことをやり直したい想いから、語学の研鑽をやり直します。そこでやはりぶつかったのが、対面恐怖症かというくらいの酷いあがり症です。
あがり症の克服のためにやったことで一番自分を変えてくれたのが、パブリックスピーチの練習と競技スピーチの経験でした。米国発祥のトーストマスターズクラブという団体に所属して、人前で英語で演説をする練習を始めるようになってから、人生が大きく変わりました。たくさんの人たちに支えられて演説の特訓を重ね、国際スピーチコンテストに出場し、日本のファイナリストになりました。ファイナルのコンテストは800名収容の大ホールの舞台で競います。そのプロセスであがり症を克服し、性格もかなり変わったのです。
コンテストで優勝経験を重ねた後、私はずっとやってみたかったことを始めました。転職をして、やりたいことを本業にする傍ら、全国に数百人の講師を抱える料理学校の講師のためのボイスコーチとしてコンサル業も始めました。
スピーチのスキルを学んでいくうちに、人生の転機を迎えたのです。
そのプロセスでいつも私のそばには手帳がありました。
手帳は私の成長を記録すると同時に成長を促してくれました。
手帳は私のパートナーみたいなものだと思います。